神奈川の雛人形(ひな人形)・五月人形専門店 岩月人形センターの羽子板・破魔弓ご紹介

初正月おめでとうございます。岩月人形の羽子板破魔弓は、いろいろなお部屋に対応できるようにコンパクトなものから特大サイズまで豊富にそろえております。全国の名工に依頼し作製した名人上手の至芸の品々を、是非ご鑑賞下さい。当店にしかないスペシャルな御飾りもございます。神奈川県下最大規模の品数と良品を揃えて、お客様のご来店をお待ちしております。

初正月、岩月人形センターの羽子板・破魔弓

当店の近隣である小田原、秦野、平塚、大井、松田、山北、開成、南足柄、小山、御殿場、二宮、大磯、箱根、湯河原、真鶴、伊勢原、厚木、茅ヶ崎といった地域には、雛人形(ひな人形)・五月人形、鯉のぼりとともに、格式ある羽子板・破魔弓の御飾りが伝わっております。
格式と伝統を大切にする心は、世界のあらゆるコミュニティーに共通のものです。明日に雄飛するであろう若い命に、日本古来からの伝統をしっかりと教え、文化を大切にする心を育てたいものです。

羽子板

羽子板

【華やかな美人押絵とやさしさの伝統】

                    

昔風の美人画である松園顔は風情がありますが、もう少し現代風の可愛らしい面相のが人気があります。また近年、振袖羽子板が隆盛していることもあり、衣裳も絞り染めや刺繍などより豪華なものが好まれています。
羽子板飾りは、もともと600年以上前から遊びの中で発展してきた「まじない」です。そこには、邪気をはね(羽根)のけ、福をもたらし健やかな成長を願う、やさしい気持ちが込められているのです。
女子なら必ず一つは持ちたい愛情の証です。

[詳細]
「羽根突き遊び」の起源は14世紀中国にまで遡ります。それが日本に伝わり独自の発展を遂げ、板で羽根を突くという形になりました。室町期には既に、正月の遊戯として広く貴族から庶民まで定着していたようです。
戦国期の文献には、羽根が飛ぶさまが病を仲介する虫(蚊)を食べるトンボに似ていることから、厄除けのまじないとして始められたとの趣旨の記録があります。また、羽根の錘には「無患子」(子が患わない)の種が使われます。魔除けの思いが込められていたのです。 江戸時代に入る頃、大名や貴族の間では、女の子が生まれた家に初正月の祝いとして、梅の花や表に貴人、裏に左義長の儀式を描いた、金銀箔を押した極彩色の美しい装飾用の羽子板(左義長羽子板、内裏羽子板、京羽子板などと呼ばれる)を贈ることが風習となっていました。左義長とは宮中儀式の一つで、厄払いとして小正月に行われました。所謂「どんどん焼き」の元となったものです。
これが東に下り、江戸町人文化の中でさらに発展、定着していきます。特に後期、江戸で生まれた押絵羽子板が、歌舞伎役者の舞台姿を写し始めると人気が高まり、逆に関西地方にまで広がっていきました。
そして、昭和以降は美人画風のものが押絵で多く表現されるようになりました。同じ美人でも昔風の切れ長の目にうりざね型の顔から、現代的な目のパッチリしたものまで様々に描かれています。近年の最大の変化は振袖羽子板の隆盛です。押絵が衣裳を大きく見せる形をしているので、一段と衣裳も艶やかで華やかなものとなってきています。
一般的に、押絵羽子板の男物は不景気をはねのける縁起物としてお店などで飾られることが多く、女物は女子のお祝い物として贈られます。どちらも、邪気をはね(羽根)のけ、福をもたらすという意味です。特に、女子が誕生した年の暮には羽子板を必ず贈ることが習わしとなっています。大きさの大小よりも、一人に最低一つは贈りたいものです。そこには、お守りとして健やかな成長を願う心が込められます。

破魔弓

破魔弓

【健康祈願と誇りの継承】

勇壮な弓破魔は、高級なものほど素材にこだわっています。天然羽根、梅や菊の組み紐房など人気があります。弓矢の神事には鳴弦の儀、流鏑馬、上棟式などがあります。その威力は古代から信奉されてきました。
破魔弓飾りは本来、魔除けの「まじない」であり、健康祈願です。また同時に、武勇を表す誇りとして受け継がれてきました。
力強く育ってほしい男子には、欠くことのできないお守りなのです。

[詳細]
古代日本では、弓矢の威力に対して強い信奉があり、それが魔除けとして発展していきます。今日でも、神社の流鏑馬や建物を新築する際の上棟式などが伝わっています。また、皇室では、新宮誕生の折に、浴湯の儀の中で「読書鳴弦」を行います。読書には学問の上達など文運を祈る意味があり、鳴弦には健やかなる成長と武運を祈願する意味があるといわれています。
そして、現代では廃れてなされていませんが、かつて正月には、男の子の遊戯として射的遊びがなされていました。的は「はま」と呼ばれ、疫病を象徴していました。それを射るという行為には、その年の無病息災を願う「まじない」の意味が込められていたのです。
また、古くから神社・仏閣では弓矢が飾られていました。そして江戸時代には既に、城下町を中心に、武家や町人の家で男の子ができると初正月の祝いに「弓はま」を贈るという習慣が生まれていました。この伝統的な習わしは連綿と続き、人々に広く伝わっていったのです。
破魔弓はもともと、矢を入れる道具である靱(うつぼ)に弓矢を配したものを飾ります。時代とともに、矢数の多いものや双弓型、大小太刀を配したもの、出世兜や打出の小槌を配したもの等、様々な飾りが生まれました。天然羽根の矢や本籐巻の弓など素材にこだわった高級品もあります。
飾ること、贈ることの意味は、「はま」に「破魔」の字をあてたことでも分かるように、魔除けです。しかし、同時に、弓矢に対する信奉は、本来、武勇を表すものであり、それにもとづく誇りに通じます。つまり、破魔弓飾りは、健康祈願の魔除けであると同時に、誇りの伝承を意味しています。
男の子に初正月の祝いとして贈られる破魔弓には、雄々しく羽ばたいてほしいという、赤子に対する悠久の願いが込められているのです。