岩月人形

羽子板(女の子の初正月)

羽子板

現代風になってきた羽子板の面相

昔風の美人画である松園顔は風情がありますが、もう少し現代風の可愛らしい面相のが人気があります。また近年、振袖羽子板が隆盛していることもあり、衣裳も絞り染めや刺繍などより豪華なものが好まれています。

邪気をはねのけ健やかな成長を願う「まじない」

羽子板飾りは、もともと600年以上前から遊びの中で発展してきた「まじない」です。そこには、邪気をはね(羽根)のけ、福をもたらし健やかな成長を願う、やさしい気持ちが込められているのです。
女子なら必ず一つは持ちたい愛情の証です。

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hane「羽根突き遊び」の起源は14世紀中国にまで遡ります。それが日本に伝わり独自の発展を遂げ、板で羽根を突くという形になりました。室町期には既に、正月の遊戯として広く貴族から庶民まで定着していたようです。
戦国期の文献には、羽根が飛ぶさまが病を仲介する虫(蚊)を食べるトンボに似ていることから、厄除けのまじないとして始められたとの趣旨の記録があります。また、羽根の錘には「無患子(ムクロジ)」(子が患わない)の種が使われます。魔除けの思いが込められていたのです。 江戸時代に入る頃、大名や貴族の間では、女の子が生まれた家に初正月の祝いとして、梅の花や表に貴人、裏に左義長の儀式を描いた、金銀箔を押した極彩色の美しい装飾用の羽子板(左義長羽子板、内裏羽子板、京羽子板などと呼ばれる)を贈ることが風習となっていました。左義長とは宮中儀式の一つで、厄払いとして小正月に行われました。所謂「どんどん焼き」の元となったものです。

oshiehagoitaこれが東に下り、江戸町人文化の中でさらに発展、定着していきます。特に後期、江戸で生まれた押絵羽子板が、歌舞伎役者の舞台姿を写し始めると人気が高まり、逆に関西地方にまで広がっていきました。
そして、昭和以降は美人画風のものが押絵で多く表現されるようになりました。同じ美人でも昔風の切れ長の目にうりざね型の顔から、現代的な目のパッチリしたものまで様々に描かれています。近年の最大の変化は振袖羽子板の隆盛です。押絵が衣裳を大きく見せる形をしているので、一段と衣裳も艶やかで華やかなものとなってきています。

一般的に、押絵羽子板の男物は不景気をはねのける縁起物としてお店などで飾られることが多く、女物は女子のお祝い物として贈られます。どちらも、邪気をはね(羽根)のけ、福をもたらすという意味です。特に、女子が誕生した年の暮には羽子板を必ず贈ることが習わしとなっています。大きさの大小よりも、一人に最低一つは贈りたいものです。そこには、お守りとして健やかな成長を願う心が込められます。




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